Ads by Google
済んだことがいつまでも、尾鰭を広げて僕にしきりと訴えかける。
僕のブログは基本的に時差式で、
彼はすでに、来日日程を消化して再び海の向こう。
僕はなんと言うか、風邪が完全に治りきらないまま
さりとて寝込むほどでもなく、漫然と不調
そんな精神状態が続いている。
何をここで語り、語らないか。
整理がつかないまま、というより
整理をつけるため、文字にするという作業を僕は始める。
済んだことは、済んだこと。
けれど、水に投げ込んだ石みたいに
済んだことがいつまでも、尾鰭を広げて僕にしきりと訴えかける。
賢明な判断だったとは思えない。
その時もそう思ったし、今もそう思っている。
失敗すると分かっていながら敢えてそうして、後でホラやっぱり
なんて予定調和な後悔をする。
後悔することまで見越していたなら、それはもう、後悔とは呼ばないかもしれない。
じゃあ、なんと呼べば良いのか。
ただの、自暴自棄か?
質が悪い。
彼を囲む同期の会は、滞在二日目の夜だった。
取引先(おそらくVIP)とのミーティングを兼ねた夕食会は、
某外資系ホテルのダイニングルームにて21時まで。
そこから、彼が滞在するホテルとの中間地点までタクシー
秘書室勤務の同期がエスコートする。
まるでスパイ大作戦だが、行き着く先はダイニングバーと居酒屋の中程。
やっぱり、和食が恋しいんじゃないかということで、月並みな選択になる。
スタートは、21時30分。僕は15分遅れで到着。
彼はさらに30分遅れで、同期に伴われてやってきた。
明日は早いから、8時からミーティングだぞ8時
秘書室勤務の同期が、腕時計のガラスをトントン叩きながら何度も言う。
彼はうるさそうに笑って、7時にホテルを出る、それで間に合う、だろ?
と、先回りする。
違うよ、そうじゃない。7時には本社に入る、そこでCOと事前打合せ
だから6時にはホテルを出る、起きるのは5時か、4時半か?
俺のモーニングコールを当てにするなよ、むしろそれは俺に必要だ
秘書室の同期はやたらハイテンションで、乾杯する間もなく
携帯に呼び出され、廊下に出る。
なんか、大変そうだな
同期の誰かが言うけど、同情するより愉快がっている、そんな声だ。
忙しいのは良いことだし、忙しくさせている仕事が気に入っているなら尚良し。
取り合えずビールで乾杯、彼は僕の斜め右
同期を右に二人、左に三人挟んだ向こう
都合7つのグラスが押し合い圧し合い揉みあう中
僕と彼のグラスは接することがなかった。
意図したわけじゃない。たまたま、そうなった。
ただ、その様子を僕が注意深く観察していただけ。
アメリカの様子を、みんな聞きたがる。
来期計画書は、ちゃんと自作できたのかと僕は聞きたい。
明日の朝、7時のミーティング相手は伊原さんだ。
さっきまで、伊原COも一緒だったんだよ
秘書室の同期が戻ってきて、乾杯抜きで飲み始める。
ご一緒にいかがですか、って誘ったんだけどさ、断られた
同期で楽しくやってくれ、ってさ。
伊原さんの名前に、同期はちょっとした憧れを抱いている。
僕は図らずも伊原さんに全部筒抜けになっていることが
なんとはなしに、気に掛かる。
いいよなお前は、ああいう人と仕事をするっていうのはどんな感じだ?
同期の一人がぼうっと尋ね、何人かが同調の目をする。
キツイけどな、とんでもなく。でも、勉強になるし、楽しい
彼はどうして、優等生みたいな回答しかしないんだろう。
彼はすでに、来日日程を消化して再び海の向こう。
僕はなんと言うか、風邪が完全に治りきらないまま
さりとて寝込むほどでもなく、漫然と不調
そんな精神状態が続いている。
何をここで語り、語らないか。
整理がつかないまま、というより
整理をつけるため、文字にするという作業を僕は始める。
済んだことは、済んだこと。
けれど、水に投げ込んだ石みたいに
済んだことがいつまでも、尾鰭を広げて僕にしきりと訴えかける。
賢明な判断だったとは思えない。
その時もそう思ったし、今もそう思っている。
失敗すると分かっていながら敢えてそうして、後でホラやっぱり
なんて予定調和な後悔をする。
後悔することまで見越していたなら、それはもう、後悔とは呼ばないかもしれない。
じゃあ、なんと呼べば良いのか。
ただの、自暴自棄か?
質が悪い。
彼を囲む同期の会は、滞在二日目の夜だった。
取引先(おそらくVIP)とのミーティングを兼ねた夕食会は、
某外資系ホテルのダイニングルームにて21時まで。
そこから、彼が滞在するホテルとの中間地点までタクシー
秘書室勤務の同期がエスコートする。
まるでスパイ大作戦だが、行き着く先はダイニングバーと居酒屋の中程。
やっぱり、和食が恋しいんじゃないかということで、月並みな選択になる。
スタートは、21時30分。僕は15分遅れで到着。
彼はさらに30分遅れで、同期に伴われてやってきた。
明日は早いから、8時からミーティングだぞ8時
秘書室勤務の同期が、腕時計のガラスをトントン叩きながら何度も言う。
彼はうるさそうに笑って、7時にホテルを出る、それで間に合う、だろ?
と、先回りする。
違うよ、そうじゃない。7時には本社に入る、そこでCOと事前打合せ
だから6時にはホテルを出る、起きるのは5時か、4時半か?
俺のモーニングコールを当てにするなよ、むしろそれは俺に必要だ
秘書室の同期はやたらハイテンションで、乾杯する間もなく
携帯に呼び出され、廊下に出る。
なんか、大変そうだな
同期の誰かが言うけど、同情するより愉快がっている、そんな声だ。
忙しいのは良いことだし、忙しくさせている仕事が気に入っているなら尚良し。
取り合えずビールで乾杯、彼は僕の斜め右
同期を右に二人、左に三人挟んだ向こう
都合7つのグラスが押し合い圧し合い揉みあう中
僕と彼のグラスは接することがなかった。
意図したわけじゃない。たまたま、そうなった。
ただ、その様子を僕が注意深く観察していただけ。
アメリカの様子を、みんな聞きたがる。
来期計画書は、ちゃんと自作できたのかと僕は聞きたい。
明日の朝、7時のミーティング相手は伊原さんだ。
さっきまで、伊原COも一緒だったんだよ
秘書室の同期が戻ってきて、乾杯抜きで飲み始める。
ご一緒にいかがですか、って誘ったんだけどさ、断られた
同期で楽しくやってくれ、ってさ。
伊原さんの名前に、同期はちょっとした憧れを抱いている。
僕は図らずも伊原さんに全部筒抜けになっていることが
なんとはなしに、気に掛かる。
いいよなお前は、ああいう人と仕事をするっていうのはどんな感じだ?
同期の一人がぼうっと尋ね、何人かが同調の目をする。
キツイけどな、とんでもなく。でも、勉強になるし、楽しい
彼はどうして、優等生みたいな回答しかしないんだろう。
泥の川の中でぽっかりと。
かつて、僕が彼に対して感じていた息苦しさと、
今、僕が感じている息苦しさは
同じであるけれど、何と言えばいいのか、濃度が違う。
徐々に毒に体を慣らしていく御毒見のように
何年もかけてある地点まで到達した、その濃度が今度は一気に吹き上げる。
未知なる物、であるが故の混乱を差し引けば
それでもいくらか、マシになっている
と言えなくもないが。
もう僕の中では答は出切っていて
それを彼に対して伝えたつもりになっていても
自分の意思表明は終わったからそれでおしまい、というわけにいかないのは
ベースにあるのが友情だったから、だろうか。
いっそ冷たく拒否した方が、彼にとっては良かったのかもしれない。
中途半端な態度を僕が取り続けたから(少なくとも、彼にはそう見えたかもしれない)
彼は同じスタンスを何年も崩さず、無性に会いたいなんて書いてくる。
僕の答は上辺だけのものだと、彼は見透かしているとでも言うのか。
仕事上、完全に縁を断つということも、二度と顔を会わせないということもなく
俺たちは以前と何も変わらない、そう確信するための証拠を
懸命に集めようとする僕は、結局なんだったのか。
人間なんて、簡単には変われない
それをお互い、重々理解した上で互いの筋を通したがる。
考えてみれば、どっちも相当、頑固なんだろう。
彼は僕に、変わることを期待していたわけじゃない。
そのままの僕の中に、どこか彼の居場所があるんじゃないか
それを、期待していたんだと思う。
確かに、僕の中に彼の居場所は存在するが
そこはどうも、彼にとっては居心地の良い場所ではないらしい。
だからといって、お好きにどうぞとも言えないのは当然のこと。
彼は僕にとって、特別な友人だった。
友達以上恋人未満なんて、言うつもりはさらさらない。
男同士の間に恋人という境界線はなく
ただ友達という領域が果てもなく広がっている
そういうのが、僕のスタンスだから。
友達はどこまで行っても友達で、もちろんヒエラルキーはあるが
別のものに置き換わったりはしない。
親、恋人、兄弟とは違う仕切りの中で、それぞれがそれぞれに存在している。
一方の彼は、どうだろうか。
あくまでも憶測だが、友人、恋人、兄弟という仕切りすらなく
ただ、自己と自他という二元論の中で
泥の川みたいに渾然一体、時々表面に浮上する泡沫は
愉快なものから不快なものまで
その泥の川の中でぽっかりと、僕が浮き上がってしまったのかもしれない。
言い方は悪いが、仕切りがないというのは分別がないというのにも似て
ただもう、無性に会いたい、そうなるわけだ。
どうしようもなく、僕らはその部分のスタンスが根本的に違う。
共通言語で会話することすら難しく思われるほど
妥協点なんて、見つからなかったし、今後も見つからない気がする。
いっそもう、見つからないままでいいじゃないか
お互い違う言葉で喋っているのに、どういうわけか
コミュニケーションが成立しているようにも見える
不思議な二人の異国人のように、
言語を超えるコミュニケーション手段を確立してみるのも
悪くはないかもしれない
と、ポジティブな時の僕は思ったりする。
今、僕が感じている息苦しさは
同じであるけれど、何と言えばいいのか、濃度が違う。
徐々に毒に体を慣らしていく御毒見のように
何年もかけてある地点まで到達した、その濃度が今度は一気に吹き上げる。
未知なる物、であるが故の混乱を差し引けば
それでもいくらか、マシになっている
と言えなくもないが。
もう僕の中では答は出切っていて
それを彼に対して伝えたつもりになっていても
自分の意思表明は終わったからそれでおしまい、というわけにいかないのは
ベースにあるのが友情だったから、だろうか。
いっそ冷たく拒否した方が、彼にとっては良かったのかもしれない。
中途半端な態度を僕が取り続けたから(少なくとも、彼にはそう見えたかもしれない)
彼は同じスタンスを何年も崩さず、無性に会いたいなんて書いてくる。
僕の答は上辺だけのものだと、彼は見透かしているとでも言うのか。
仕事上、完全に縁を断つということも、二度と顔を会わせないということもなく
俺たちは以前と何も変わらない、そう確信するための証拠を
懸命に集めようとする僕は、結局なんだったのか。
人間なんて、簡単には変われない
それをお互い、重々理解した上で互いの筋を通したがる。
考えてみれば、どっちも相当、頑固なんだろう。
彼は僕に、変わることを期待していたわけじゃない。
そのままの僕の中に、どこか彼の居場所があるんじゃないか
それを、期待していたんだと思う。
確かに、僕の中に彼の居場所は存在するが
そこはどうも、彼にとっては居心地の良い場所ではないらしい。
だからといって、お好きにどうぞとも言えないのは当然のこと。
彼は僕にとって、特別な友人だった。
友達以上恋人未満なんて、言うつもりはさらさらない。
男同士の間に恋人という境界線はなく
ただ友達という領域が果てもなく広がっている
そういうのが、僕のスタンスだから。
友達はどこまで行っても友達で、もちろんヒエラルキーはあるが
別のものに置き換わったりはしない。
親、恋人、兄弟とは違う仕切りの中で、それぞれがそれぞれに存在している。
一方の彼は、どうだろうか。
あくまでも憶測だが、友人、恋人、兄弟という仕切りすらなく
ただ、自己と自他という二元論の中で
泥の川みたいに渾然一体、時々表面に浮上する泡沫は
愉快なものから不快なものまで
その泥の川の中でぽっかりと、僕が浮き上がってしまったのかもしれない。
言い方は悪いが、仕切りがないというのは分別がないというのにも似て
ただもう、無性に会いたい、そうなるわけだ。
どうしようもなく、僕らはその部分のスタンスが根本的に違う。
共通言語で会話することすら難しく思われるほど
妥協点なんて、見つからなかったし、今後も見つからない気がする。
いっそもう、見つからないままでいいじゃないか
お互い違う言葉で喋っているのに、どういうわけか
コミュニケーションが成立しているようにも見える
不思議な二人の異国人のように、
言語を超えるコミュニケーション手段を確立してみるのも
悪くはないかもしれない
と、ポジティブな時の僕は思ったりする。
百も承知の上での、悪あがき。
やり直し三回目で、すんなりOKが出たのかどうか。
とにかく伊原さんが帰宅後、相当の時間を彼とのやり取りに費やしたことは
翌日、遠目に見かけた伊原さんが珍しく眼鏡だったことからも、明らかだ。
こちらの時間が何時かなんて、彼も構ってはいられなかったんだろう。
あの彼にしては珍しい、切羽詰まり具合だ。
彼ほどではないにせよ、この時期は来期の準備が佳境を迎える季節で
僕は幸いにも、仕事に埋没することを許された。
彼が滞在している間に、ごく身内だけの同期会をやろうというメールが
同時並行で複数から舞い込む。返信しなければ存在ごと忘れてもらえる
はずもなく、秘書室勤務の同期からわざわざ内線まで入る。
ちょっと今、それどころじゃないんだけど
と言ってみたが、それは誰もが同じこと、とあっさり黙殺された。
第一お前、あいつと一番付き合い長いじゃないか
そういうお前が来なくてどうする、と言わんばかりの調子で電話は一方的に切られる。
みんな同期なんだから、付き合いの長さなんて一緒じゃないかと
言ってみたところで始まらない。
物理的時間の長さではなく、質の問題を指摘されているのだということくらい
百も承知の上での、悪あがきだ。
●●さん(彼の名前)に彼女はいますか?とか
趣味とか嗜好とか、そんなことは本人に直接聞けということを
僕はさんざん、尋ねられてきた。
僕が彼のことを一番よく知っているというのは衆目の一致するところだが
彼の全部を僕が知っていると、僕自身は思っていない。
ただ、なんというか、特別な感情を持たれているというのは間違いなく
それが僕の彼に対する態度を変質させてきた、というのは
もう何年も、ここに書いてきた通り。
同期の飲み会、しかもセッティングしたヤツに言わせれば
卓越したスケジューリング能力の為せる技、らしいから
生身の彼とほぼ1年ぶりに対面するには、ちょうどいい具合かもしれない。
何か打ち明けるような変化が、僕にあったわけじゃない。
彼にあったかどうかは、分からない。
これからの3年が、区切られた時間になることを危惧していた彼の
この1年は、どんなものだったのだろうか。
僕は生身の彼から遠ざかることを得たこの1年で
より彼に近づきがたく、どこか心が頑なになっている。
彼の存在を肌で感じていたあの頃、僕は窒息寸前まで追い詰められていた。
そうだったのだと気付いたのは、彼が渡米してしばらく
吸っている空気の違いを、ふと自覚した時だった。
それくらいに僕は、彼を意識していたんだと思う。
ぐらぐらと、ややもすれば傾いてしまう恐怖感を
敢えて掬い取ってみる、そういうことがなかったとは言えない。
あのまま彼が渡米せず、ずっと同じ距離と存在感を保っていたら
自分がどうなっていたか、正直分からない時もある。
けれど追い詰められた挙句の破れかぶれ、なんてことにならなくて
良かったというのが、偽らざる本心。
たとえば伊原さんなら、そういう僕を決して受け入れないだろう。
彼は、迷ったり悩んだりしながらも結局、手を伸ばしてしまうかもしれない。
救急隊が、遙か眼下で帆布を広げて待ち構えている。
大丈夫だから飛び降りろと、しきりに呼びかける。
どの程度、その帆布を信頼できるか。
僕の彼に対する信頼は、その程度なんだろう。
けれどもしかしたら、そういう形で彼を試すこと自体、
僕は避けたいと思っているのかもしれない。
そんな危険を冒さずとも、成立しうる関係がこの世界にはあるはずだと
僕は青臭く、まだ信じたいのかもしれない。
とにかく伊原さんが帰宅後、相当の時間を彼とのやり取りに費やしたことは
翌日、遠目に見かけた伊原さんが珍しく眼鏡だったことからも、明らかだ。
こちらの時間が何時かなんて、彼も構ってはいられなかったんだろう。
あの彼にしては珍しい、切羽詰まり具合だ。
彼ほどではないにせよ、この時期は来期の準備が佳境を迎える季節で
僕は幸いにも、仕事に埋没することを許された。
彼が滞在している間に、ごく身内だけの同期会をやろうというメールが
同時並行で複数から舞い込む。返信しなければ存在ごと忘れてもらえる
はずもなく、秘書室勤務の同期からわざわざ内線まで入る。
ちょっと今、それどころじゃないんだけど
と言ってみたが、それは誰もが同じこと、とあっさり黙殺された。
第一お前、あいつと一番付き合い長いじゃないか
そういうお前が来なくてどうする、と言わんばかりの調子で電話は一方的に切られる。
みんな同期なんだから、付き合いの長さなんて一緒じゃないかと
言ってみたところで始まらない。
物理的時間の長さではなく、質の問題を指摘されているのだということくらい
百も承知の上での、悪あがきだ。
●●さん(彼の名前)に彼女はいますか?とか
趣味とか嗜好とか、そんなことは本人に直接聞けということを
僕はさんざん、尋ねられてきた。
僕が彼のことを一番よく知っているというのは衆目の一致するところだが
彼の全部を僕が知っていると、僕自身は思っていない。
ただ、なんというか、特別な感情を持たれているというのは間違いなく
それが僕の彼に対する態度を変質させてきた、というのは
もう何年も、ここに書いてきた通り。
同期の飲み会、しかもセッティングしたヤツに言わせれば
卓越したスケジューリング能力の為せる技、らしいから
生身の彼とほぼ1年ぶりに対面するには、ちょうどいい具合かもしれない。
何か打ち明けるような変化が、僕にあったわけじゃない。
彼にあったかどうかは、分からない。
これからの3年が、区切られた時間になることを危惧していた彼の
この1年は、どんなものだったのだろうか。
僕は生身の彼から遠ざかることを得たこの1年で
より彼に近づきがたく、どこか心が頑なになっている。
彼の存在を肌で感じていたあの頃、僕は窒息寸前まで追い詰められていた。
そうだったのだと気付いたのは、彼が渡米してしばらく
吸っている空気の違いを、ふと自覚した時だった。
それくらいに僕は、彼を意識していたんだと思う。
ぐらぐらと、ややもすれば傾いてしまう恐怖感を
敢えて掬い取ってみる、そういうことがなかったとは言えない。
あのまま彼が渡米せず、ずっと同じ距離と存在感を保っていたら
自分がどうなっていたか、正直分からない時もある。
けれど追い詰められた挙句の破れかぶれ、なんてことにならなくて
良かったというのが、偽らざる本心。
たとえば伊原さんなら、そういう僕を決して受け入れないだろう。
彼は、迷ったり悩んだりしながらも結局、手を伸ばしてしまうかもしれない。
救急隊が、遙か眼下で帆布を広げて待ち構えている。
大丈夫だから飛び降りろと、しきりに呼びかける。
どの程度、その帆布を信頼できるか。
僕の彼に対する信頼は、その程度なんだろう。
けれどもしかしたら、そういう形で彼を試すこと自体、
僕は避けたいと思っているのかもしれない。
そんな危険を冒さずとも、成立しうる関係がこの世界にはあるはずだと
僕は青臭く、まだ信じたいのかもしれない。
それはあいつにとって、屈辱だろう。
その喫茶店は大通りの一本奥、
ちょっと歩けば客引きが犇くエリアに突入する地点にあった。
周囲は普通の居酒屋が何軒かあって、
何屋だか分からない、小売店らしきものが挟まれている。
見たところ、飲んだ後に立ち寄ったという感じの客はいない。
これで時計が8時か、いっそ6時を指していても不思議はないような
ただもう、珈琲を飲んでケーキを食べているだけ。
何もこの時間にそんな健全なことをしなくとも、
と思ってしまうのは、僕も歳をとったということかもしれない。
漆喰の壁に沿って、二人掛け、四人掛けのテーブルセットが並んでいる。
僕らが座ったのは一番奥まったところで、
湿気のせいか、いつもより強く匂い立つ伊原さんの香水に
濃厚な珈琲の香りが混ざり込んでいた。
斜め向かいに、女の子二人組がいた。
俯いて、しきりに携帯のボタンを弄っている。
「なんで二人でいるのに、お互い別の人間にメールするんでしょうね」
まさか、携帯のメールで会話しているわけじゃあるまいし
僕はこの奇怪な光景に、目を丸くした。
伊原さんは煙草の煙越しに、ちらりとだけ二人を見て
「別に、一緒にいる理由があって一緒にいるわけじゃないんだろ」
と、どうでもよさそうに言う。
そういうもんなんだろうか。
向こうの端では、楽器ケースと思われる物をお互い足元に置いた男女が
静かに単行本を読んでいる。
あの二人には、一緒にいる理由があるような気がする。なんとなく。
今こうして、僕と伊原さんが一緒にいるのは
僕が気まずい思いをしたまま帰るのを
伊原さんが憐れんでくれたからだろう。
別にそんな軽口、俺は気にはしないさということを
既成事実化するために、30分か1時間
珈琲を挟んで過ごしてみる。
話を元に戻すこともなく、新たな会話を探すわけでもない。
見せてください、それ。と僕が手を伸ばすと
伊原さんは無造作に、ブレゲを外してくれた。
生活防水機能があるとはいえ、これを雨に濡らすというのは
僕の神経では耐え難いトラブルだ。
もっとも、その程度で動じないくらいの器がないと
買えはしないし、似合いもしないんだろう。
返す返す眺め、僕にその器ができるまで廃盤にならないでくれと
いらぬ心配をしながら本来の持ち主に返すと
素っ気無く腕に戻し、また髪を掻き上げる。
何か、他愛もない話をしていたような気がする。
伊原さんの携帯が胸の内ポケットで振動し
表示を確認した途端、唇の端を上げた。
メールなんだろう、ボタンを操作し内容を確認する。
「三度目の正直が、あるかどうか」
伊原さんは笑いながら、携帯の画面を見せてくれた。
差出人の欄にあったのは彼の名前
メールのタイトルは、来期計画
本文はただ、お送りしましたのでご確認下さい
こんな時間までアイツ、仕事してるんだと同情しかけて考え直す。
時差というものを、うっかり失念するところだった。
修正三回目ですか、と尋ねたら
全部やり直し三回目だと、伊原さんは事も無げに答えた。
これでダメなら、俺の書いた計画をプレゼンさせられることになる
それはあいつにとって、屈辱だろうなと
伊原さんは、さも愉快そうに言う。
データは全て揃ってる、後はそれをどう読んでいかに使うかだけだから
やり直しといっても、まだマシな方だろ?と同意を求められても
僕はとても、そうですねとは言えない。
仕方ないから帰って、内容に目を通してやるかと
伊原さんは席を立ち、千円札をテーブルに置く。
残り、出しておいてくれと言いながら、狭い通路を進む後姿は
入ってきた時より絶対、楽しそうだった。
ちょっと歩けば客引きが犇くエリアに突入する地点にあった。
周囲は普通の居酒屋が何軒かあって、
何屋だか分からない、小売店らしきものが挟まれている。
見たところ、飲んだ後に立ち寄ったという感じの客はいない。
これで時計が8時か、いっそ6時を指していても不思議はないような
ただもう、珈琲を飲んでケーキを食べているだけ。
何もこの時間にそんな健全なことをしなくとも、
と思ってしまうのは、僕も歳をとったということかもしれない。
漆喰の壁に沿って、二人掛け、四人掛けのテーブルセットが並んでいる。
僕らが座ったのは一番奥まったところで、
湿気のせいか、いつもより強く匂い立つ伊原さんの香水に
濃厚な珈琲の香りが混ざり込んでいた。
斜め向かいに、女の子二人組がいた。
俯いて、しきりに携帯のボタンを弄っている。
「なんで二人でいるのに、お互い別の人間にメールするんでしょうね」
まさか、携帯のメールで会話しているわけじゃあるまいし
僕はこの奇怪な光景に、目を丸くした。
伊原さんは煙草の煙越しに、ちらりとだけ二人を見て
「別に、一緒にいる理由があって一緒にいるわけじゃないんだろ」
と、どうでもよさそうに言う。
そういうもんなんだろうか。
向こうの端では、楽器ケースと思われる物をお互い足元に置いた男女が
静かに単行本を読んでいる。
あの二人には、一緒にいる理由があるような気がする。なんとなく。
今こうして、僕と伊原さんが一緒にいるのは
僕が気まずい思いをしたまま帰るのを
伊原さんが憐れんでくれたからだろう。
別にそんな軽口、俺は気にはしないさということを
既成事実化するために、30分か1時間
珈琲を挟んで過ごしてみる。
話を元に戻すこともなく、新たな会話を探すわけでもない。
見せてください、それ。と僕が手を伸ばすと
伊原さんは無造作に、ブレゲを外してくれた。
生活防水機能があるとはいえ、これを雨に濡らすというのは
僕の神経では耐え難いトラブルだ。
もっとも、その程度で動じないくらいの器がないと
買えはしないし、似合いもしないんだろう。
返す返す眺め、僕にその器ができるまで廃盤にならないでくれと
いらぬ心配をしながら本来の持ち主に返すと
素っ気無く腕に戻し、また髪を掻き上げる。
何か、他愛もない話をしていたような気がする。
伊原さんの携帯が胸の内ポケットで振動し
表示を確認した途端、唇の端を上げた。
メールなんだろう、ボタンを操作し内容を確認する。
「三度目の正直が、あるかどうか」
伊原さんは笑いながら、携帯の画面を見せてくれた。
差出人の欄にあったのは彼の名前
メールのタイトルは、来期計画
本文はただ、お送りしましたのでご確認下さい
こんな時間までアイツ、仕事してるんだと同情しかけて考え直す。
時差というものを、うっかり失念するところだった。
修正三回目ですか、と尋ねたら
全部やり直し三回目だと、伊原さんは事も無げに答えた。
これでダメなら、俺の書いた計画をプレゼンさせられることになる
それはあいつにとって、屈辱だろうなと
伊原さんは、さも愉快そうに言う。
データは全て揃ってる、後はそれをどう読んでいかに使うかだけだから
やり直しといっても、まだマシな方だろ?と同意を求められても
僕はとても、そうですねとは言えない。
仕方ないから帰って、内容に目を通してやるかと
伊原さんは席を立ち、千円札をテーブルに置く。
残り、出しておいてくれと言いながら、狭い通路を進む後姿は
入ってきた時より絶対、楽しそうだった。
煩わしそうに、髪を掻き上げる左腕にブレゲ。
僕は伊原さんに対して軽はずみに発してしまった一言を
思い返せば返すほど、とんでもなく礼を欠くものだったと
苦く深く反省して止まない。
伊原さんは酔っ払いの戯言と、
綺麗に聞き流してくれたように見えたとしても。
だけど考えてみれば(考えてみなくとも)
あれは、嫉妬を前提にした思い上がりもいいところで
そういう傲慢が自分自身、不潔に思えてならない。
自分が清廉だとも思慮深いとも思わないが
それにしても、言って良いことと悪いことがあるうちの
明らかに後者だろう。
伊原さんが黙って歩くから、僕も黙って歩いた。
タクシーを拾える場所までは、距離があった。
クリーニング戻りのスーツが雨に濡れて
洗濯液の匂いが強くなっていた。
週末の一日前の夜にしては珍しく人通りが多く
何の集まりなのか、学生らしき集団が笑いさんざめく。
スクランブルの交差点で伊原さんは立ち止まり
ざっと濡れた髪を掻き上げた。
床屋に行けと指摘されたとおり、僕の髪はいい加減伸びきって
絞れるほどではないにせよ、相当に鬱陶しいことになっていた。
「行きますよ、床屋」
僕を見た伊原さんの目にその意を汲み取り、僕は先んじて宣言する。
大して面白くもなさそうに伊原さんは笑い
雨降る夜空を見上げて、思案顔をしていた。
信号が変わり、直進するのが本来のコースだったが
伊原さんは僕の肘を掴み、左斜め前方へと道を取る。
珈琲でも飲むぞというのがその理由だったが
こんな時間に開いてる喫茶店なんてあるのか?
ビヨビヨ、ピヨピヨと聞こえる信号音を背景に
疑う僕は、雨の中を引っ張られる。
こうも本気で雨に降られるというのも
考えてみればずいぶん久しぶりの経験で
もうこの際、屋根のあるところならどこでもいいや
とすら、思えてくる。
さぞかしそういう人間が駆け込んだに違いないと思いきや
落ち着いた作りの喫茶店は、若い男女が外の様子など知らぬ気に
普通に珈琲を飲み、普通にケーキを食べていた。
深夜営業の喫茶店があるというのは以前から知っていたが
実際に足を踏み入れるのは初めてのことで
あまりの普通さに、僕は唖然とする。
いい歳をした大人が二人、水が滴るほど雨に濡れているというのは
相当に目を引く光景だったんだろう。
親切な店員がタオルを貸してくれて、僕はようやく人心地つく。
伊原さんはさっさとタオルを店員に返し、煙草に火をつけるのと
珈琲二つとオーダーを出すのを、同時にやって見せた。
煩わしそうに、髪を掻き上げる左腕にブレゲ
いつか僕も、ああいうのを身に付けるんだと
訳もなく意志を固めて、僕の気分は少し復活していた。
思い返せば返すほど、とんでもなく礼を欠くものだったと
苦く深く反省して止まない。
伊原さんは酔っ払いの戯言と、
綺麗に聞き流してくれたように見えたとしても。
だけど考えてみれば(考えてみなくとも)
あれは、嫉妬を前提にした思い上がりもいいところで
そういう傲慢が自分自身、不潔に思えてならない。
自分が清廉だとも思慮深いとも思わないが
それにしても、言って良いことと悪いことがあるうちの
明らかに後者だろう。
伊原さんが黙って歩くから、僕も黙って歩いた。
タクシーを拾える場所までは、距離があった。
クリーニング戻りのスーツが雨に濡れて
洗濯液の匂いが強くなっていた。
週末の一日前の夜にしては珍しく人通りが多く
何の集まりなのか、学生らしき集団が笑いさんざめく。
スクランブルの交差点で伊原さんは立ち止まり
ざっと濡れた髪を掻き上げた。
床屋に行けと指摘されたとおり、僕の髪はいい加減伸びきって
絞れるほどではないにせよ、相当に鬱陶しいことになっていた。
「行きますよ、床屋」
僕を見た伊原さんの目にその意を汲み取り、僕は先んじて宣言する。
大して面白くもなさそうに伊原さんは笑い
雨降る夜空を見上げて、思案顔をしていた。
信号が変わり、直進するのが本来のコースだったが
伊原さんは僕の肘を掴み、左斜め前方へと道を取る。
珈琲でも飲むぞというのがその理由だったが
こんな時間に開いてる喫茶店なんてあるのか?
ビヨビヨ、ピヨピヨと聞こえる信号音を背景に
疑う僕は、雨の中を引っ張られる。
こうも本気で雨に降られるというのも
考えてみればずいぶん久しぶりの経験で
もうこの際、屋根のあるところならどこでもいいや
とすら、思えてくる。
さぞかしそういう人間が駆け込んだに違いないと思いきや
落ち着いた作りの喫茶店は、若い男女が外の様子など知らぬ気に
普通に珈琲を飲み、普通にケーキを食べていた。
深夜営業の喫茶店があるというのは以前から知っていたが
実際に足を踏み入れるのは初めてのことで
あまりの普通さに、僕は唖然とする。
いい歳をした大人が二人、水が滴るほど雨に濡れているというのは
相当に目を引く光景だったんだろう。
親切な店員がタオルを貸してくれて、僕はようやく人心地つく。
伊原さんはさっさとタオルを店員に返し、煙草に火をつけるのと
珈琲二つとオーダーを出すのを、同時にやって見せた。
煩わしそうに、髪を掻き上げる左腕にブレゲ
いつか僕も、ああいうのを身に付けるんだと
訳もなく意志を固めて、僕の気分は少し復活していた。

