男に告白された男
そんなつもりは全くないのに、同僚(男)から告白されてしまいました。 会社を辞めるわけにも行かず、彼も辞める気配もなく、 オフィスの5階(僕)と6階(彼)、なんとなく気まずい僕の日記です。
DATE: 2009/11/09(月)   CATEGORY: 未分類
酸の記憶。
僕は低い声で言う。
安い餞別だな
左片耳ピアス君の耳にその声が届いたかどうか。
難なく閉じられたドアに向かって僕は軽く左手を上げ
どうにかして、彼の顔を見上げる。
白っぽい街灯に浮かんだ白い上下の左片耳ピアス君は
相変わらず不遜で不敵で、僕は彼の背後に
砂漠の幻覚を見たような気がした。

安い餞別。
同じ言葉を別の相手に吐いた記憶が
戸惑うほど強烈に甦って、僕は思わず目を閉じる。
胸ポケットに入れた携帯の硬い感触が心強く思えるほど、
僕は袋からこぼれる砂の粒みたいで
なんとか、本格的に気分が悪くなるのを踏みとどまったのは
砂の連想を左片耳ピアス君につなげることができたから。
こんな使われ方をしていると知ったらあいつ
どんな顔をするんだろうかと考えることで
僕は更に考えを反らし、逃がし
引き下ろした窓の隙間から吹き込む外気に
藻の様に絡みついてくるものを散らす。

どうしてこうも、後味の悪いことになるのか。
どこか間違っていたのか。
その時は、これで良かったのだとむしろ清々しい思いがしたものを
時間がたつにつれ、その考えは酒を醸し出すのではなく
やたらツンツンするばかりの酢に転じて
浸み出した酸が、僕の神経を蝕む。
彼も同じ酢を、舐めているのかどうか。
そうであればいいという卑しさと
それではあまりに救われないという虚しさと
どちらが強いかは、日によりて違う。
僕も相当に、気紛れだ。

いずれ、書こうとは思っていたけれど
必ずしも、書かなければならないわけでもない。
むしろ、書くことができる段階に自分が達するまで
時を稼ぎ、時を重ねて、今ここに辿り着いた。
振り返る月数よりも、1年経つと数える月数の方が近くなったけれど
いくらか風化もし、いくらか角が削れた状態なればこそ
文字化という作業に、そろそろ手をつけてもいいのかもしれない。
DATE: 2009/11/05(木)   CATEGORY: 未分類
夜の街は、臭いも音も洪水で。
いくつになっても、こんな時
どんな表情を見せたらいいのか、言葉を発すればいいのか
分からないという不甲斐なさは相変わらずだけれど
分からない、という焦燥は不思議と薄く
僕は順当にエレベーターを先に降り、
四角く区切られた夜の光景が
次第に近づいてくるのを、まるで映像でも眺めるように見ていた。

建物を出た瞬間、驚くほどの鮮やかさで
街のざわめきが、耳にも頭にも溢れた。
それと同時に、仮死状態にあった嗅覚が息を吹き返し
左片耳ピアス君の、いかにも若者らしい香水の匂いが
鼻の奥でリフレインし始める。
でもそれも、もっと雑多な臭いに紛れて薄くなり
背後に立っているというのに、その肉体からはもう
匂いも温度も感じられなかった。

本当はまだ、電車が走っている時間だったが
洪水みたいな他人の顔を眺める気にはどうしてもなれず
僕は手当たり次第、タクシーを捕まえて乗り込もうとする。
といって、逃げようという気持ちはどこにもなかった。

開いたドアのフレームを、二本の腕が順手と逆手で掴んでいる。
頭の隅に訳もなく、小学校のグラウンド
フェンスの脇にあった鉄棒が浮かんだ。
掌に残った鉄臭い匂いが不意に思い出されて
春でも夏でもない、中途半端な季節の日差しが
どんな具合に影を作っていたかまで、僕は思い出してしまう。
なぜこんな、突拍子もない記憶がこのタイミングで
こうも鮮明に思い出されるのか訳が分からず
そこに答などないと分かっているのに
指先から腕を辿って、僕は左片耳ピアス君の顔を見た。

どこでどう身につけたのか、それとも元々備わっているのか
左片耳ピアス君の顔は、僕が重さや湿り気を感じる何物も持たず
ただ端正で、ただ絵に描いたような微笑で
捉えどころがない、のではなく
本当に、ただそこにあるだけで、それがそこにあるということに
僕は言葉を無くしてしまいそうになった。

彼ならどんな言葉でも厭味なく身に沿うだろうし
何を言っても許される身上だったと思う。
しかし実際に言葉として流れたのは
お元気で 携帯の番号は変えません
の2つだけ、だった。
DATE: 2009/11/04(水)   CATEGORY: 未分類
それはそこにそうあるもの。
ラストオーダーで1杯ずつ、最後の酒を頼んで
それから、1時間くらい話していただろうか。
遠慮がちに店員がチェックを持ってきて、
送別の贈り物を何も準備してこなかった代わりにと
僕が払って、店を出る。
平日の夜でなければ、もう一軒くらい付き合ったのにな
と言う僕の後ろを左片耳ピアス君は黙って歩くが
きっと彼は静かな微笑を浮かべているんだろうと、背中で感ずる。
1フロアに1店舗という構造のビルでは
エレベーターへのアプローチもこの時間になれば静かなもので
等間隔に置かれた蝋燭がゆらゆらと、すべての影を曖昧にしていた。

その店は最上階で、エレベーターは一つきりだから
下っていく回数表示を1度見送った後、
途中停止なしで上がってきた箱に乗り込む。
先に乗った僕は「開」ボタンを押し、待つまでもなく
左片耳ピアス君は白い影みたいに、長身を滑り込ませた。

理由なんてなく、理屈もなく、ただそうなるだろうという予感というのは
もしかしたらそれは期待と呼ぶのかもしれないけれど
確かに存在していまうもので
左片耳ピアス君の左右の手が僕の肩に触れるのも
まるで映画みたいな仕草で顔を傾け唇が近づくのも
僕は何の驚きもなく、日が沈めば花弁が閉じるのと同じくらい自然に
ただ、それはそこにそうあるものだという感じで
受け止めてしまう。
ただ意外だったのは、そのキスは触れるだけのキスで
途中一度も止まらず1階へ到着するまで
それなりの秒数があったはずだが
本当に触れるだけの、柔らかいキスだった。

ある俳優が、言っていた。
舌を絡めたからと言って、素敵なラブシーンになるわけじゃない。
左片耳ピアス君くらいの美形になると、何をしたって絵になるわけで
同性としてそういう特質を持つ彼に、
ちょっとばかり腹が立ったりしないわけでもない。
どんな表情を彼が浮かべているのか
それを知ってしまうことが怖くて、僕は咄嗟に目を閉じてしまうが
始まる時と終わる時、その一瞬に垣間見た左片耳ピアス君の
びっくりするくらい長くふっさりした睫毛ばかりが、僕の印象に残っている。
それから、素敵なラブシーンかどうかは分からないけれど
舌を絡めようが絡めなかろうが、
それに万感の思いというものを込めることはできる。
異国へ旅立つ彼には、清算する関係がいくつかあるらしく
この伊達男らしい、見事で完璧な去り方を遂げるらしいが
あの夜、彼が僕にしたことは
彼にとってのやり残し、みたいなものなんだと思う。

DATE: 2009/10/28(水)   CATEGORY: 未分類
たとえば風が吹いて。
たとえば風が吹いて
どこかへ連れ去ってくれたらいいと
思うことがないわけではない。
故郷へ向かう列車、その軌道を見ただけで
心が離れていくような気がする、そういう友もいるけれど
僕はただ、青い空でも鈍色の雲にでも
何かのはずみにふわふわと、飛び立とうとする心と
結局は、そうはなれない重さの実感を覚えて
渋く苦い思いを噛んだりする。

連れてっちゃいますよと言われたところで
砂漠の国に行こうという気は毫も起こらず
たとえ砂漠の国でなくとも、左片耳ピアス君にどこかへ連れ去られようとは
微塵も思い浮かばない。
ただこの、野放図で美貌で、実は思慮と配慮に富む青年が
自分とはあまりに違うから、羨ましく眩しく見えた。
きっとうまく行くよ、お前なら。
何の外連もなく、ふと口を突いて出た言葉は
紛れもなく、僕の本心だった。

虫の知らせとか、予知とか、そういう能力も感覚も僕には全くないが
他人の仕事に関することについては、実に根拠もなく無責任に
将来を予感して、しかもそれが的を外さないという特技がある。
これがプライベートの問題になると全く当たった試しどころか
予感のようなものを感じたことすらない。
ついでに言うと、自分に関して感ずることも未だかつてない。

無責任な予言を聞かされても、左片耳ピアス君の笑顔は変わらず
そんなことは、他の誰より自分がよく知っているとも
確かな未来などというものは、ずっと昔に手放したのだとも
問わず語りしているようだった。
相反するものが同居している、あるいは境界線上の存在
左片耳ピアス君は、そういう人間なのかもしれない。

他愛もない話をしながら、頭の一隅では
これで彼と会うのも話すのも、最後だろうと考えている。
何年かして帰国して、その時彼が
僕にわざわざ連絡してくるとは思わない。
そう考えれば、バカ話ひとつにも感慨深くなりそうなものだが
球体の表面を、つかまりどころもなく滑り落ちる水滴みたいに
僕のその考えはだらしなく流れて
気がつけば、ラストオーダーの時間になっていた。
DATE: 2009/10/27(火)   CATEGORY: 未分類
旅立っていく背中というものはたいてい、眩しく眺めるものなのだ。
ある種の熱と、得体の知れない期待と、説明のつかない勢いを
頭から信じているようで、実は冷静な自分というものを失わない。
左片耳ピアス君はまるで、薄い刃物の上を優雅に渡る曲芸師みたいで
狂気の中の理性、あるいは理性の中の狂気。
頭の半分ではその愚かさを危ぶみつつ、もう一方では羨みつつ
僕は彼の笑顔ばかりを、眺めていた。

そのすべてを、年齢に帰結させることはしないけれど
飛び立つ頃合というのは、人生の中でごく限られた
短い瞬間にだけ訪れるもののように感じる。
その時が20代という人もあれば、50代という人もあるだろうし
生涯その時を迎えないという生き方だって、あるだろう。

僕の会社はもともと、定年まで勤め上げるという人間は少なく
新しいフィールドに飛び立つ人を、これまでにも多く見送ってきた。
そういう彼らを見送る度、僕の中には何か澱のようなものが澱み
最初はごくうっすらとした霞でしかなかったものがだんだんと
蓄積され層をなし、今では薄黄色い澱みが
はっきりと見て取れるような気がする。
旅立つ者への羨望、旅立てない自分に対する嫌悪
弱さとか、狡さとか、そういうものばかりが目について
げんなりすることが、時を追うにつれて増していく。

あまり年下の、しかもこれから旅立つ者相手に
年寄りの愚痴を聞かせるのはよくないと分かりつつ
僕の口の端には、飛び立つことのできない自分に対する不甲斐なさが
どうしたって、滲み出してしまう。
びっくりするほど整った目鼻立ちの左片耳ピアス君は
もともと大きな目がさらに大きくなったように見えるほど
真っ直ぐに、僕を見て
「そんなこと言ってると、連れてっちゃいますよ」
と、言って笑う。。
確かに笑っていたのだと、僕は思う。
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