男に告白された男
そんなつもりは全くないのに、同僚(男)から告白されてしまいました。 会社を辞めるわけにも行かず、彼も辞める気配もなく、 オフィスの5階(僕)と6階(彼)、なんとなく気まずい僕の日記です。
DATE: 2009/10/27(火)   CATEGORY: 未分類
旅立っていく背中というものはたいてい、眩しく眺めるものなのだ。
ある種の熱と、得体の知れない期待と、説明のつかない勢いを
頭から信じているようで、実は冷静な自分というものを失わない。
左片耳ピアス君はまるで、薄い刃物の上を優雅に渡る曲芸師みたいで
狂気の中の理性、あるいは理性の中の狂気。
頭の半分ではその愚かさを危ぶみつつ、もう一方では羨みつつ
僕は彼の笑顔ばかりを、眺めていた。

そのすべてを、年齢に帰結させることはしないけれど
飛び立つ頃合というのは、人生の中でごく限られた
短い瞬間にだけ訪れるもののように感じる。
その時が20代という人もあれば、50代という人もあるだろうし
生涯その時を迎えないという生き方だって、あるだろう。

僕の会社はもともと、定年まで勤め上げるという人間は少なく
新しいフィールドに飛び立つ人を、これまでにも多く見送ってきた。
そういう彼らを見送る度、僕の中には何か澱のようなものが澱み
最初はごくうっすらとした霞でしかなかったものがだんだんと
蓄積され層をなし、今では薄黄色い澱みが
はっきりと見て取れるような気がする。
旅立つ者への羨望、旅立てない自分に対する嫌悪
弱さとか、狡さとか、そういうものばかりが目について
げんなりすることが、時を追うにつれて増していく。

あまり年下の、しかもこれから旅立つ者相手に
年寄りの愚痴を聞かせるのはよくないと分かりつつ
僕の口の端には、飛び立つことのできない自分に対する不甲斐なさが
どうしたって、滲み出してしまう。
びっくりするほど整った目鼻立ちの左片耳ピアス君は
もともと大きな目がさらに大きくなったように見えるほど
真っ直ぐに、僕を見て
「そんなこと言ってると、連れてっちゃいますよ」
と、言って笑う。。
確かに笑っていたのだと、僕は思う。
DATE: 2009/10/26(月)   CATEGORY: 未分類
月の砂漠を、君は行くのか。
忙しすぎる社会人生活を送っていた者の常として、
しばらく何もせず、ぼんやり過ごそうと思います
そういう答を僕は予測していたが、案に反して左片耳ピアス君は
二年くらい、海外の語学学校に通う予定だと答えた。
しかも、授業料はもう払い込んだという。
なんともまた、手回しがいいというか立派というか。

もともと彼は、第二外国語とは別に
アラビア語を学生時代に習っていたらしい。
日常会話くらいなら今でも喋れるんですよ、と
耳慣れない言葉を、音楽のように並べる。
この先、イスラム圏とのビジネスは拡大していくから
まあ取りあえずは通訳として、行く行くはコーディネーターとして
というのが、彼の目論見だ。
アラビア語と一言で言っても、国によって微妙な違いはあるらしいが
治安と暮らしやすさを考え、エジプトに彼は行くと言う。
エジプトなら、酒が飲めるから
左片耳ピアス君はおどけたように肩をすくめて
シャンディガフのグラスを軽く一思いに煽った。

なんともこの夜は、圧倒されることばかりだ。
自分より年下で、刹那的に生きているように見えたこの青年が
そんな明確なキャリアプランを描いて、
いくら治安がいいといってもそれは比較論の世界でしかないのに
生活習慣も文化も何もかも違う砂漠の国へ、行くのだと言う。
髭を生やさないとな、なんて言いながら顎をさする面立ちは
どうしたってまだ青い印象が抜け切れず
髭を生やしてみたところで、一人前の男になんて見えやしないのに。
会社を辞めてぼんやりする、どころか
会社に勤めながらもぼんやりしている僕にとって
左片耳ピアス君は本当に眩しくて
目を閉じたくなるような、遠い幻覚だ。

彼は学生時代、何カ国か砂漠の国を旅し
そのパスポートのままアメリカに入国しようものなら
審査には相当の時間を要するであろうツワモノだ。
普通に観光客が立ち寄る場所からそうでないものまで
一通りは経験し、これまで生命の危険を感じることはなかったという。
それが幸福な偶然だとしか思えないのは、僕が年を取りすぎたからか。
ベリーダンスを踊る娘の肌は、しっとり湿りを帯び
水蜜桃のような肌とはあのことだ、と
やけに左片耳ピアス君は、はしゃいで笑う。
笑いながらも、目の奥には硬く醒めた意志のようなものがあり
それは揺れているようで揺れておらず
揺れているように見えるのは、僕が彼の行く末を案ずるあまり
僕の心が定まりがたく、フラついているからだと気づかされる。


DATE: 2009/10/06(火)   CATEGORY: 未分類
つれないこと言わないでくださいよ、と艶っぽい目で君は言う。
本題から逃げようとしているわけではないけれど
左方耳ピアス君が会社を辞めるというので、その話を。

辞めるといってもこれから、というわけではなく
9月末だと言っていたから、すでに辞めた、というのが正確。
あれだけ整った顔をしていて、広告代理店とはいえ
サラリーマンというのは不釣り合いだと常々思っていたから
辞めると聞いても、驚きはしなかった。
比較的、流動性の高い業界でもある。
仕事の用件で電話した際にその話を聞き、
送別会に来てくださいと頼まれ、ちょうど予定のない夜だったから
とりあえず行くと返事をし、必ず来てくださいよと念を押され
花くらい買うべきだったかと思いながら指定の店に行ったところ
各テーブルにキャンドルスタンドが配置されているような店で
送別会にしてはシックな選択だと思っていたら
案内された席に待っていたのは左方耳ピアス君だけで
ちょっとはめられた気分の僕は、思わず足が止まる。
サシで飲むならそうと先に言ってくれ、と僕が苦く言うと
左方耳ピアス君は、正直に言ったら来てくれましたかと尋ねるから
どうかな微妙なところだな、と答えると
つれないこと言わないでくださいよ、とやけに艶っぽい目で
乾杯のグラスを差し出してくる。
こうもしたたかな年下というのを僕は知らないから
踊らされている、という自覚がなんとなくあって
一杯目からはやもう、ふわふわとした憂鬱が始まる。

男にとって白の着こなしは難しい。
たまに結婚式で白のタキシードを着せられる新郎がいるが
ぴったり身に添うというのは、あまりお見かけしない。
歳をとったら、白い麻のスーツをさりげなく着こなせるようになりたい
と、一時期考えていたことがある。
そういう僕の目に、その夜の左方耳ピアス君の生成りのスーツは
まるでここが日本だとということを忘れさせ
セーヌ河畔のカフェか、どこか地中海を望むテラスかと思わされた。
会社を辞めた後の予定はもう決まっているのかという
こういう席には定番の話題を持ち出し
僕は眩しさから目を背ける。
DATE: 2009/09/29(火)   CATEGORY: 未分類
イノシシは、どこに向かって猛進するのか。
非常に前向きな考え方をするならば、
イノシシは自分にも厳しいが、他人にも同じように厳しい。
約束に対して同じ潔癖さを求める一方で
頭では、自分と他人とは違うという多様性は認めている。
でも心は偽れないから、苛々と苦しんでいるのだろう。

アグレッシブであることと、ポジティブであることは
同じ前に進むという指向性を持つ性質であっても、全く別物。
イノシシはポジティブにはなれない生き物なんだろう。
特に人間関係、分けても恋愛関係においては。

彼女の不幸なところは、たとえ彼と結婚したからと言って
抱えている葛藤や苛立ちが消えてなくなることない、ということだ。
ただ、怜悧な目で眺めてみるならば
心のどこかに、疑心暗鬼を望む気持ちが潜んでいるんじゃないか
必要だからそうしているんじゃないか
と僕が勘ぐるのは
自滅とか自傷とかいうことから、イノシシほど遠い存在はない
と思うから。
付き合っている相手にさえ、攻撃する隙を嗅ぎつけたくなる
というほど、破滅的アグレッシブ性でないことをないことを
祈るばかりだ。

年長者として、何か助言めいたことを言わなければならない
というプレッシャーはどんどん体積を増す。
でもそれをやり過ごすくらいの余裕も、僕は獲得していたから
のんのんとイノシシの話を聞きつ考えつ
思い出していたのは、ウズベキスタンで手に入れた
ゾロアスター教のシンボルのことだった。

それは、三角形を二つ重ねたもの(△と▽を上下に積み重ねた形状)。
ゾロアスター教の寺院で壁に埋め込まれているもののレプリカで
明るいトルコブルーをしている。
この三角形には、「よい考え、よい行動、よい希望」という
ゾロアスター教の大切な教えが象徴されている、と聞いて
白茶に乾いた道の傍らで、思わず購入したものだ。

「まあ、お前に足りないのは、“よい希望”だよな」
とイノシシに大人ったらしく告げながら
僕に一番足りないのも、たぶんそれなのだと
半ば言い聞かせ、僕は夜の街並みに解放された。


DATE: 2009/09/25(金)   CATEGORY: 未分類
イノシシは、憂鬱を想像妊娠する。
それで結局、ドタキャンされたわけ?と
死語めいたことを僕はおずおず尋ねる。
笑ってしまうのは、
そうじゃないんですけどね、とイノシシが答えることで
笑えないのは、
それでもイノシシの噴気は一向に収まらない、ということ。
問題の本質は、約束を反故にされることではなく
反故にされるんじゃないかと彼女が不安に晒されること
それによって、約束の扱いが軽いんじゃないかとの疑問が生じたこと
だいたい、そういうことになる。

でもそれってつまり、自分が軽んじられてるんじゃないか
それが不満ってことなんじゃないの?と
僕は分かり切った口調で言う。
イノシシにしては珍しく、それは一理あると素直に認めた上で
たとえそうだとしても、気になっているのはそのことではなく
約束というものに対する自分の感情が、過剰なんじゃないか
という、これもまた彼女には珍しい内省的な思考だ。

約束を破るのは嘘つきで、嘘つきは泥棒の始まりで
泥棒は犯罪だから、つまり、嘘つきは犯罪の始まり
という論法の問題ではなく。
昔から、誰に対しても、約束を守らないことに対するイノシシの反感は
相当に強く、時に自分でも不安になるほど激烈なもの、だという。
確かに、イノシシは会議開始の5分前には着席しないと気が済まない。
うっかり遅刻しようものなら、凄い目で睨まれる。
飲み会でさえ、遅れるならきっちり事前に連絡してくる。
僕はそれを、他人から責められる隙を与えないための
備えだとばかり思っていたが、根っこは違うところにあるらしい。

こうも約束というものに対して潔癖だというのは
過去に何かトラウマとなるような事件でもあったのかと
イノシシは返す返す考えてみるが、思い当たることがない。
約束を破るとどんな手酷い罰が巡ってくるか、
ハリセンボン飲ます、以上に陰惨な説話を聞かされた覚えもない。
なのにどうしてこんなにも、とイノシシは困惑し
もしかしたら自分は異常なのかもしれないと、
似合わないけど不安に慄き、
「別に、おかしいってことはないですよね」
と、僕の首を縦に振らせたいハラなのだ。

別におかしくはないと俺は思うけど。
で、話ってそれだけのこと?
時間も時間だったし、僕はもうそろそろ引き上げ時だと匂わせたが
イノシシは不納得顔で、すごい勢いでグラスをグルグル回す。
こんなに約束というものに過敏だと、約束そのものがイヤになって
そうなると、男付き合いなんて続かない。
たとえこれまでに守られなかった約束というものがなくても
この先、いつか破られる最初の約束が控えている
そんなことを考えただけで、吐きそうになるのに
かといって、約束なしでは人間関係は成立しない。
愛情という問題と、約束という問題は、イノシシにとっては
別次元でありながらも不可分に結びつき
付き合い始めた途端、別れの日を想像して憂鬱になる
そういう人の心理に、よく似ている。
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