男に告白された男
そんなつもりは全くないのに、同僚(男)から告白されてしまいました。 会社を辞めるわけにも行かず、彼も辞める気配もなく、 オフィスの5階(僕)と6階(彼)、なんとなく気まずい僕の日記です。
DATE: 2009/09/16(水)   CATEGORY: 未分類
イノシシに、春が来て。
今回は、最近の話を少し。
以前、書いたかもしれませんが、イノシシに春が来た。
どこのどなたかは知らないけれど、とにかく
イノシシにも春というものが訪れた。
彼女の性分として当然、黙っていられるはずもなく
僕は何人目か、この吉報を聞かせられた一人だった。

それはそれで目出度いし、これでイノシシも安泰だろうと
僕は聞いたなり、忘れていたのだが
先日唐突にイノシシから、聞いてほしい話があるんですッ
と、かつての剣幕で押しまくられ、否応なしに連れ出された。
僕は長い夜、不幸の匂いを嗅ぎつけて、話を聞く前から、はや憂鬱だった。

聞いてくださいよッ、と乾杯も前置きもなく
イノシシがぶちまけたところの話というのは
幸いなことに、別れたという最悪の事態こそ回避していたが
まあ、なんというか。
なかなかに、考えさせられることだった。

別にこれは、恋愛関係にあるなしに関わらず起こることだが
イノシシとその恋人も、様々な約束というものを交わす。
たとえば、待ち合わせの時間。あるいは遡って、
会うという約束そのもの。
イノシシは、約束の5分前には到着して相手を待ち構える。
相手が遅れたとしても、それ自体は責め立てるつもりはないらしい。
遅れはしたものの、約束本体は守られたわけだから。
時間に対する感覚が民族によって違うように、
大和民族の中でも、個人差がある。
自分は厳格な方だが、そうではない人の存在を拒絶することまではしない。
しかしどうにも我慢がならないのは、
約束本体を反古にする、つまり
会うと約束したのに、それをキャンセルされることが堪らなく腹立たしいという。
そんなの、誰にでもある反応だと思うが、
イノシシは尋常ではなく、腹が立つのだという。

具体的な例をあげれば、こういうケースだ。
ある日、食事に行こうと約束する。
時間については漠然と、「夜」とだけ決めておく。
その日が近づくにつれ、イノシシはソワソワし始める。
「夜」は何時なのか。待ち合わせはどこなのか。
それによって、自分は何時に会社を出なければならないのか決まるし
それによっては、適当な言い訳を同僚にしなければならない。
前々日になっても相手から連絡がないあたりで
イノシシは暗い予感を感じ始める。
もしかしたら、約束を忘れているんじゃないか。
それとも、スケジュール管理の目盛りが、自分よりも大きいだけなのか。
そんなに気を揉むなら、自分から連絡して確かめればいいものを
「せっついてるみたいでイヤなんですよ、そういうの」
というわけで、イノシシは殊勝ぶって連絡を待ち続ける。

前日になると、暗い予感にドス黒いものが混じり始める。
自分は曖昧な「夜」という拘束に対し、律儀にスケジュールを空けている。
会議を入れられないよう、outlookの予定表もクローズしている。
自分はここまでしているのに、相手は何をしているのか。
忘れているのか、悠長なのか、本当に予定が見えないのか。
ひいては、自分の優先順位はその程度のものなのかと
相手の愛情自体を、疑ってみたくもなる。
そして同じ理由でやっぱり、自分から相手に確認するということはできず
ついに当日を迎え、冷静に問いただすか、
冷静に相手の忘却を許すふりをするか、葛藤の瀬戸際に立つ。

「男の人は、約束をすることに意味があると思っている。
約束は、守ることにしか意味はない」
意味、という単語はそのまま、誠意という単語に置き換えられる。
つまるところ、まだ見ぬイノシシの恋人の
誠意を問う議論に、僕は付き合わされていた。
DATE: 2009/09/14(月)   CATEGORY: 未分類
暗黙の了解めいたものに、のっかかる。
逃げるという言葉が、これほど似合わない人もいないというのに
その伊原さんからこうもはっきり、逃げろという単語が出て
僕は意外さに胸をちょっと打たれつつも
しかしこの人の場合、逃げるといっても威風堂々たるものなんだろう
と、皮肉なことも考えてしまう。

伊原さん曰く。
逃げるというのも立派に積極的な行動で
為す術もなく、そのものに押しつぶされるより
はるかに前向きで結構じゃないか、となる。
逃げる視界の片隅には、確かにそのものの姿なり影なりがあり
第一、逃げるというからにはそのものに対する認知と判断があるわけで
人が言うほど、ぼんやりした行動でもない、ともなる。

そう言いながら伊原さんは、凄いような微笑をちらと浮かべ
杯の中身を軽く一気に煽る。
その飲みっぷりと語りっぷりにほとほと感心しながら
この人もやっぱり、逃げたことがある、あるいは
逃げていることがあるんだろうと、僕は気づいた。
伊原さんの説は、そういう自分を正当化するためのものかもしれず
逃げ続ける中、そのものを眼の隅で捉え続けるのと同じだけ
逃げるという行為を問い続け、その結果
体得した実感なのかもしれない。

伊原さんは何から逃げているんですか、とは
僕は到底、尋ねられない。
伊原さんも僕に対して、それを問うことはなかった。
ただ、うっすら分かっているんだろうなあ、という心当たりはあり
本当は何を知っているんですかと逆質問する度胸もないまま
僕は暗黙の了解めいたものにのっかかり、
それが許される間は、そうしていようとタカを括る。

もしその夜が平日ではなく
もう少しアルコールの注入が許される状況だったなら
僕は洗い浚いをぶちまけて、
それでスッキリしていたかもしれないし
より多くを抱え込むことになっていたかもしれない。

店にいる間にもう一湿りあったようで
外に出た時には違う夜のように空気は冷め
いたるところで水滴が、ネオンを弾いて煌めいていた。
躓かないよう、急げ
去り際、伊原さんがそう言ったのは
もちろん僕の帰路を危ぶんでのことではなく
逃げるその足に対する、紛れもない忠告だ。
DATE: 2009/09/11(金)   CATEGORY: 未分類
真逆の真理。
自分が不調を感じている時、
人からはっきりそうだと肯定されても
そんなことはないとあっさり否定されても
どちらにせよ、なんとなく安心できる。
そういう心理って、ないだろうか。

原因不明の体調不良より、はっきりこうだと病名を付けられた方が
すっきりと、ある方向に向かって不安になることができる。
名前のないもの、顔のない感情、
得体は知れないが確かにそこに存在するもの。
境界線上にあるものを忌避する感覚というのは
社会学的にも境界性理論として確立されている。
この理論は、自分の身内という一つの物体、あるいは心象についても
当てはまることなんだろう。
僕は自分の不調を伊原さんに告知されながら
頭の片隅では、そんなことを考えていた。

「だから、無理して笑わなくてもいい」
伊原さんの声は変わらず穏やかだったけれど
ほんのりと、「だから」のアクセントに苛立ちのようなものが感じられた。
そうあってほしいという僕の願望なのか
真実そうなのか、それは分からない。
ただ僕は、心臓に柔らかい刃をひっそり当てられたような気がして
笑ったつもりはないのだが、と考え込む。

手の中で、ガラスの杯をひねくりまわしながら
一連の状況について僕は説明する。
現実感が抜け落ちていく感覚、しがみつく足場もなく
そもそも、しがみつくという気概もなく
ただふわふわと、現在位置を保っている現状。
伊原さんはただ黙って、僕の話が終わるのを待っていた。
引っ越したのがよくなかったんですかね、
ぽつり僕は呟き、笑ってみるが寒々しい。

現実感がないのは、現実逃避とほぼ同義で
それは何か原因となる問題から目を反らしたい心理だ、と
伊原さんは煙草の先を見つめながら言う。
だいたいこういう話の行き着く先としては
目を背けることなく問題に向き合え、直視しろ、ということになる。
けれど、伊原さんが言ったのは
「逃げたいなら、逃げられる限り逃げろ」
という、真逆の真理だった。


DATE: 2009/09/10(木)   CATEGORY: 未分類
短い言葉で、時間は止めることができる。
店の中は冬のように澄んで、
鼻の奥で微かに、炭の香りが揺らぐ。
暑い時には冷えたビール、ではなく
キンと冴えた冷酒だと感じられるようになったのは
成長の証なのか、年をとっただけのことなのか。
うっすら霜が張るほど冷やされた青竹の
香りを移した冷酒は、胃の中まで清涼にして
僕は一時、夏を忘れた後、夏に感謝する。

僕は鮎エリアの出身なので、
天然と謳われたその一品が真実天然なのか
一口食べればたちどころに判定できる。
その夜、青笹の上に横たえられた鮎は
身こそ小振りだったけれど、紛れもない天然で
どこかよほど清冽な川を泳いでいたのだと察せられた。
竹酒と鮎、それだけでもう
僕はこの夏の大きな仕事を終えたような満足感で
もうこのまま、夏が終わってもいいな
と思わず呟き、伊原さんの失笑なのか苦笑なのか微笑なのか
とにかく、薄っすらとした笑みを誘う。

大人になって食べられるようになったものの一つ
蚕豆も青々としている。
これは、天日に軽く干したものをさらに軽く炭で焙った逸品で
ごくごく僅かに塩を振っただけなのに、
青っぽい甘さが引き締められ、立派な肴に仕立て上げられていた。
他にも大人になって好物になったものはいくつかあって
なんとはなしに、そんな話をしていたのだが
意外にも伊原さんは鱧が嫌いだという告白の後
「無理にはしゃいで見せなくてもいい」
と、鋭い刃物みたいな言葉を落とした。

短い言葉で、時間は止めることができる。
凍て付かせることだって、できる。
張り付けたような笑顔、という表現があるが
まさにその時、僕の表皮から笑顔が罅割れ剥がれ落ち
パリパリと音がしそうなほど、それは鮮明な感覚だったけれど
だからといってその下から現れた僕の表情は
泣いているわけもなく、やつれているわけでもなく
無表情、でもなかっただろう。
残念ながら、鏡になるようなものが見当たらなかったから
その時、自分がどんな表情を見せていたのか
僕が知ることは、永遠にない。
DATE: 2009/09/09(水)   CATEGORY: 未分類
雨は、やんださ。
だってでも、ひどい降りですよと
窓の外を指さす僕の頭越しに伊原さんは眼下を見下ろし
雨はやんださ
と言うなり背中を向けた。
15分後に1階という短い指示と共に、伊原さんは扉を押して出ていく。
非常識にもこの時間から始まる会議が控えているかもしれないとか、
明日の朝までに仕上げなきゃならない資料があるんだとか
そういう可能性の検証は一切置き去りに
ついでに、伊原さんの見せた観察者の眼差しにたじろぐ僕も置き去りに
悠々と立ち去る背中はいつもながら堂々として
すれ違う顔見知りからの会釈に軽く右手を上げる仕草ときたら
気障も厭味も通り越して、風のように滑らかだ。

一雨過ぎれば多少は涼しくなるかと思いきや
陽射しに熱せられたアスファルトを一撫でしただけの通り雨は
はやもう蒸発して、重い真綿みたいな湿気を残しただけだった。
また一降り、来るのかもしれないですね、と
乗り込んだタクシーの運転手が言う。
こういう時、世間話の相手をしなきゃならないのは僕の役目だから
そんな様子ですね、などと適当に相槌を打つ。
するとまたじんわりと、頭の表皮が痺れるような感覚。
疲れてるんだと言い聞かせ、
見ず知らずの他人と接することが、億劫になっている自分を誤魔化す。
思ったよりも順調に流れる車窓に視線を向ければ
そこは自分の足で歩いた馴染みの光景で
僕はひっそり、安堵する。

とにかくその夜は蒸し暑く、湿度のせいなのか
いつもより色んなものが匂い立ち
僕はいつか過ごした、どこかアジアの路地を思い出す。
あれほど鮮烈で雑多な匂いや色が
この街に溢れているわけではないけれど
夜の花屋から漂う、冷たくて甘い匂い
路上に落ちた吸い殻の脂った臭い
揚げ物と焼き物が換気扇に巻き上げられ、吹きつけられる香り
そういう馴染みの匂いが、常になく肉薄して
僕はそれだけでもう、腹も胸も一杯になる。
先に立って歩いていた伊原さんはもう店先で
目に沁みるような浅葱色の暖簾に片手を掛け
観察者の目に、あるかなしかの懸念を見せていた。

大丈夫か、とは伊原さんは言わない。
心配していると、配慮をちらつかせることもしない。
何と言えばいいのか、その時々に適度な距離を許すという技量が
ほとんど芸術の域に達しているように思う。
水を打った石畳には、暖簾一枚隔てた外とは異なる湿りがあり
微かに香の匂いが漂っているようだけれど
僕の鼻先は伊原さんの香水の匂いを嗅ぎ分けて
別の香水と結びついた記憶の縁スレスレを、辛うじて擦り抜ける。

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